雑感ですですー(my日本日記転載)
2010年8月11日付けで、SNS「my日本」に書いた日記です。
用意周到かつ理詰めの論法って、
第三者に事情がわかりやすい反面、
相手の人が冷静になれなくなる事もあるから
あまり追い詰め過ぎない方がいいこともあると思います。でも、きちんとしている人って
余白を作ったり言葉足らずはキライだと思うので、
「もしかしたら○○ということかもしれない」と
持論とは逆の、善意の受け止めかたを書いておくとか。だいたいここで、更に追い打ちを付け加えることが多いから
いろんなトラブルが生まれているのだと思っています。
(……なぜなら、私自身が
「ナチュラルによけいなひと言を言う」タイプだから!)
「あなたの考えは理解できました。
でも私はこういう考えがあります。
残念ですが、そのすべてを受け入れるのは難しそうです」「できるだけすり合わせたいけれど
お互いが完全に理解し合うのはムリかもしれません。
勝手な言い分かもしれませんが、
私の発言にお付き合いいただけると幸いです」「無理にとは言いません。
そこはお互い大人なんですから
(表向きは相互不可侵として)目をつぶって
これからも仲良くお付き合いしていきましょう」「ご指摘については、謙虚に受け止めて参ります。
ただし、私も疑問に思った点につきましては
忌憚なく意見を述べさせていただきます。
どうかこの点もご了承願います」
……という、言外の言葉が相手に伝わりきってないために
追い打ちをかけて得意になっていると誤解されている気がするの。相手はひたすら「袋小路に問い詰められている!」みたいな
恐怖と不快感を味わっているんじゃないかなーと。どこかに相手のための逃げ道も用意しておかないと、
自分のつながりをギロチンで分断してることになってそうで怖い。
周りに誰もいなくなっちゃうのはさみしいや。
「言ったらしまい」にすることも大事かも。
「一旦おしまい」でもいいと思う。
「くくっ、これでぐうの音も出まい」と思った瞬間は危険です。
多分、そういうときの自分の顔は
「カン総理のどや顔」と同じになっているはず。あぶねぇあぶねぇ。